20180517
建築オリジンのデザイナーは数多といる。新しい潮流として、音楽をバックグラウンドとしたアーティストはどれほどいるのだろう、例えば蓮沼執太のように。(これはリサーチが必要)
ある批評では、蓮沼執太は「人間と人間以外のもの(自然、テクノロジーなど)との関係性」を問いかけると評される。今回の資生堂ギャラリーの展示は、入りの作品が印象的だ。床全体にメタルの部品が散りばめられ、そのうえを好きに歩き回ることができる。それだけでは音を奏で得ない部品が、人間とのinteractionを通して音を生み出す。歩く人が多ければ多いほど音が積み重なり、「音楽」ができる。 彼の「音」に対する思い入れ、「音」の積み重ねである彼の音楽を振り返ることとなる。
わたしは蓮沼執太の曲を聞くと泣きそうになる。夏が嬉しくて切なくなるのと同じだ。気持ちが良くて悲しくなる。喜と哀のふたつの感情は相反するものではなく、同時的に発生する。その心を掴む感情をわたしは「幸せ」と呼ぶ。それがきちんと定義できるものなのであれば。
幸せを聞きながら、音を踏みしめる。