ぼちぼちロンドン

人となりは柔らかく、あり方は力強く。

20180517

f:id:decorative_art:20180817144643j:plain建築オリジンのデザイナーは数多といる。新しい潮流として、音楽をバックグラウンドとしたアーティストはどれほどいるのだろう、例えば蓮沼執太のように。(これはリサーチが必要)

ある批評では、蓮沼執太は「人間と人間以外のもの(自然、テクノロジーなど)との関係性」を問いかけると評される。今回の資生堂ギャラリーの展示は、入りの作品が印象的だ。床全体にメタルの部品が散りばめられ、そのうえを好きに歩き回ることができる。それだけでは音を奏で得ない部品が、人間とのinteractionを通して音を生み出す。歩く人が多ければ多いほど音が積み重なり、「音楽」ができる。 彼の「音」に対する思い入れ、「音」の積み重ねである彼の音楽を振り返ることとなる。

 

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わたしは蓮沼執太の曲を聞くと泣きそうになる。夏が嬉しくて切なくなるのと同じだ。気持ちが良くて悲しくなる。喜と哀のふたつの感情は相反するものではなく、同時的に発生する。その心を掴む感情をわたしは「幸せ」と呼ぶ。それがきちんと定義できるものなのであれば。

幸せを聞きながら、音を踏みしめる。

 

20180524

一時帰国中です。

帰国と同時にロンドンで出会ったトルコ人の親友を東京に連れて来ることになり、浦島太郎気分を味わう暇もなく東京中を走り回った10日間であった。嵐のような期間が終わり、ようやくのんびりと。

ギャラリーホッピングと名付けたギャラリー巡りは東京でも続ける予定でございます。まずは色々な用事のついでに寄りやすい表参道 Espace Louis VuittonのBertrand Lavier展に。
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まさに「インスタ映え」!と世が叫ぶのが聞こえる。この作品、アメリカ人アーティストのFrank Stellaの下の作品を別のメディアで表現したという作品。

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メディアを変えることで雰囲気は断然変わる。ネオン、闇夜に輝く、ネオンが放電するジジッという音、パリ、香港。ただし、センチメンタルなネオンとはまた違った色を放出し、コマーシャルな雰囲気を醸し出す。アートをストリートのレベルに下ろす。こうしたメディアを変えた遊びは好きなタイプ。

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見た瞬間にモンドリアン!と体が反応する。既存のテキスタイルの上に置くように塗り重ねられた正方形。土台と全く同じ色を作りだすことに関心する。色は小さなズレで人を欺くから。色をコントロールすることに成功した人。
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分厚い絵の具の乗りに魅了される。

レディメイドと言ったら簡単。でも、アーティストなりのアプローチがあり、それは日常に潜むものをアートに昇華させることだったり、もしくはハイアートをストリートのレベルに落とし込むことだったり。そういったアプローチの可能性についても考えさせられる。

ただのインスタ映えじゃないよ、と言いたい一鑑賞者です。

20180218

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谷崎潤一郎は日本の伝統的な美意識を、ほのかな光の中に説いた。漆器のつややかな輝きは、明るい電光のもとでなく、ぼうっとした蝋燭の暖かい光に映える。こうした感性をきちんと美しい言葉で書き出すあたりは流石の谷崎先生だ。美しさに対する執着が見てとれる。「陰翳礼讃」は、高校の教科書で漆器の部分だけ読み、その水が滴るような描写が記憶に残っていたのだが、ロンドンの日本美術専門のギャラリーで思いがけない再会を果たした。まあなんという。

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このギャラリー、ふらっと立ち寄っただけだったのだが、琳派の作品で埋められ、なんとなんと酒井抱一の屏風までも売られている。これはもう小さな美術館です。さらにオーナーのこだわりが半端でない。まず、屏風に関しては当時に近い環境で見てほしいということで、電気を消して蝋燭を灯してくれる。また、目線を正座したときの高さに落として観ろと鑑賞方法にも注文がつく。たしかに正しい姿勢でみると、奥行きが全く違って見えるんです。こうして外国人の鋭い感性で理解された日本の美意識には、こちらがハッとさせられる。

極め付けには「Tanizakiを読め!!」とお説教をくらいました。いやあ、さすがにイギリス人に谷崎を勧められるとは思っていなかった。尊いアドバイスである。

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「自分は何がしたいのか」よりも、「自分はどうありたいか」の方が正しい答えが見えることが多い。大仰な野望よりも、自分の美しい在り方を。問いかける相手は常に自分で、さて、永遠に自分との会話を続けることは何かの解決をもたらすのか。答えなんてない。ただ自分との語り合いが生きるということなのか。

迷い、孤独感、そういったものに揺らされながらも、強く根をはって生きていかなければいけない。根が浅い草はすぐに摘まれてしまう

 

20180209

 

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油断すると時間は人をも置き去りにする。ついつい、わたしたちは自分たち人間がすべてを司っているような気になるが、社会を回しているのは時間だ。それに気づき、時間という概念を作り上げた点に、先人の賢明さが光る。

となんだかんだ言いながら、つまりは更新が止まっていた言い訳をこねくり回しているだけ。

さて、沈黙の間に行った展覧会を。今回はBasquit: Boom for Real。

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会場のBarbican Centreの近くに、イギリスのストリートアーティスト、Banksyの作品が。もともとは店舗の壁やシャッターに反社会的なフレーズをペイントしたところから始まったBasquiatが今や大衆的なアーティストと化していることを揶揄しているのか。ただ、そのBanksyの作品がビニールシートで保護されていることもまた皮肉的。

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展示自体はとても見応えのある面白いものだった。初期のSAMOとしての活動から始まり、路上で1ドルで売り歩いていたというポストカードの作品群、ウォーホルとの関係、インスピレーションとなった音楽、文学、美術など。ひとりの人間の中にこれだけの膨大な知識が溜め込められるものなのかと圧倒させられる。

現代アーティストに対して頻繁に投げかけられる疑問、「なぜこんなに有名なのか?」。そのメランコリックな表情、目を落として微笑む恥ずかしげな笑顔、路上生活から時代の人にまで上り詰めるドラマチックな人生、そして早すぎる死、どれを取っても人々が喜ぶ要素ばかりだ。というか、まず名前がロマンチックすぎるじゃないですか。Jean-Micheal Basquiatなんて。

そして、彼の作品はやさしい。どんなにシニカルな視線が背後に見て取れても、その明るい色調とコミカルに抑えられたデザインは、人を傷つけない。delightfulという言葉がしっくりくる。

そうそう、Basquiatといえば、ZOZOTOWNの前澤氏がSotheby’sにて大作を勝ち取ったニュースが記憶に新しい。いまや、Basquiatの名前を聞いて前澤氏を思い浮かべるひともいるほど。日本アート界でまた光を浴びる機会を作ってくれたBasquitなんです、ぜひ日本にも巡回してほしいものです。

 

20171025

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クリスティーズがやってくれた。Leonardo da Vinciの作品で現在残っているのはわずか15点と言われているが、その中でたったひとつの個人の所蔵品、Salvator Mundiがクリスティーズに出品される。見通し価格は1億ドル。長い間マーケットから消えていた作品に、業界は色めき立っている。更にすごいのはこの作品、出品されるNYを離れ、ロンドンと香港を巡回するときた。このリスクとコストは想像を絶するものがある。ただし、私のような凡人にとってはこれほど有難い話はない。早速観に行ってきた。

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学校が休みだったこともあり、平日月曜日の午後に行ったのだが、長蛇の列。東京とちがい、滅多に列を作らない国だから珍しい。しかも場所はオークションハウス。とりあえずイチャつくカップル、ひたすらセルフィーに明け暮れる女子、ご機嫌にお喋りにくれるご婦人方、と過ごし方も人それぞれである。30分強並んだところでやっとご対面。

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実はダヴィンチを生で観るのはこれが初めて。先入観を抜きにしてもすごい。絵にこもる神秘的な空気には圧倒される。オーラがある。特に手元。手元の繊細さ、左手に乗るクリスタルの集める光の粒、(業界を少しざわつかせたが)透明感、こういったディテールが名作と説得してくる。

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良いもの、美しいものを観ると、笑いがこぼれる。またこの地にいるおかげでそんな体験ができたことが嬉しい。もう2度と見ることができないかもしれない作品。ロマンチックではございませんか。夢に見たい。

20171024

今週は一週間、リーディングウィークという名前の大休暇。リーディングウィークという名前に警戒して、大量な課題を心待ちにしていたが、学校からは一切のコンタクトが断たれ、クラスメイト達はホップステップジャンプと海外に繰り出して行く。わたくしはといえば、大人しく霧のロンドンをうろつく。

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先日、ふと思い立ってずっと気になっていたLeighton House Museumへ。ここはSir. Frederic Leighton(画家/1830.12.03-1896.01.25) の元邸宅なのだが、イスラムのタイルに囲まれた館なのである。地中海の海の色を思い起こさせるような、青いタイルに包まれた空間。室内に噴水が設けられ、モロッコのパティオを彷彿とさせる。嗚呼、あの壮絶モロッコ旅行もリベンジしたくなってきた…。それについてはまた次の機会に…。

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今回、レイトンハウスではアルマタデマの展覧会が開催中で、「特別好きではないけど割と好き」な彼の作品もついでに見るべく寒い霧の中足を運んだわけではございなすが、さすがタデマ先生!!!と帰りは先生付きの呼称で帰って参りました。珍しく撮影禁止だったのでお見せできないが、まあその繊細なタッチ!女子なら憧れずにいられないロマンチックな情景!古代ギリシャデカダンスな雰囲気!!感激でございました。良いものを見せてもらった〜。

両親を連れて行きたいリストに載せました、レイトンハウス。

20171022

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時々はアートのお話を。芸術の秋と言うが、この言葉はロンドンのためにあるのではと思っている。10月はアートフェアのシーズン。なんと言っても世界最大級のアートフェア、Friezeは欠かせない。世界中のギャラリーが集まり、ヨーロッパのバイヤーにここぞとばかりに色目を使う。

東京のギャラリーも出展していたのだが、それはまたの機会に。

今回わたしが気になったのが、上の作品。Leonor Antunesというアーティストの作品で、これは個人の感想だが、室内に飾った時の印象が想像できるところが良い。 この針金のカーテン、風になびいたら風鈴みたいに素敵な音色を奏でそうではございませんか??少し派手な音だけれども。

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 そして先日。ふらふら歩いている時に見つけたギャラリーで見た作品、なんとなく気になって家に帰ってから見てみると、同じアーティストではないか!しかもポルトガル人!!ポルトガルに留学していた身としては、身の毛がよだつほどに興奮することなのです。

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あらゆるものは色んな線で繋がっていて、その繋がりは経験と知識によって輪郭が見えてくるものだと思う。見えなくても生きていける。でもそれが見えたとき、世界はもっと楽しい場所になる。

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Leonor Antunes、注目です。きちんと追って正確に理解しなければ